天の華・地の風 を読む(2)
◆「かなしい」という表現について
天の華地の風の中に「かなしい」という表現は3ヶ所でてくる。
この3ヶ所のうち1ヶ所は他の2ヶ所と違い「かなしく」と形容詞の連用形で書かれている。ここだけ哀しいの意味だと思う。
残り2ヶ所は愛しいという意味で使われていると思う。
そしてこの愛しいという意味がこの物語のなかで非常に大切なのだ。
実はこの「かなしい」を愛しいと発見したのは私ではない。
ネットのどこのどなたかわからない江森ファンの書き込みだった。
この書き込みがあってから、私は目を皿のようにして天華を読み返した。
そして確かにそうだと確信できた。
どこの誰の書き込みかもわからないし、それ以外詳しい書き込みもなかったので、私がここで補足させていただこうと思っている。
まず1ヶ所目、これは漢字で「愛しく」と書かれておりルビで「かなしく」と読ませている。
この最初の「かなしく」は残り2ヶ所の「かなしい」を=愛しいのことであると暗に示すためだと思う。
そしてこの「かなしく」は漢字の愛しくが当てられているが、意味は哀しくだと思う。
さて、どこの箇所かというと、4巻の 月やあらぬ で関羽の死後、妻の貂蝉が荊州から成都に送り届けられるところだ。
_____________________
やつれた、華の顔。
「貂蝉どの」
孔明は呼んだ。あとに続ける言葉はあったが、口にできなかった。いまほど、この女を愛しく憐れにおもったことはなかった。
_____________________
夫・関羽と死に別れ成都に送られてきた貂蝉に対しての孔明の心情だ。
この「愛しく」の意味は、やはり愛しいより哀しいのほうが適していると思う。
では残りの2ヶ所を見てみよう。
2ヶ所目は、先ほどの「愛しく」のわりとすぐ後に書かれている。
同じく4巻の笑う雲・五 の一場面だ。
_____________________
かれは皇帝を弑すだろう。
手にした膚の感触が、魏延にそう直感させた。それは人のかたちをした、溶けることをしらない、氷よりも冷えた鋼鉄の刃だった。
冷たき血の、青いうろこの、眠りたる龍。その膚のなかで、血があおく燃えていた。魏延はそれを、かなしい、と思った。
_____________________
これは孔明と劉備の仲が決定的に破局し、孔明が単騎で夜中に漢中に向けて出発し、その孔明の妖気を察知した魏延が閨で理由を無理やり聞き出したときの場面。孔明に対する魏延の心情。
『陛下の許で、私は一度として人としてあつかわれたことはない』『知識の袋、ものを考える道具として大事にされただけだ』『思考人形と交合人形の間に、いったいどんな差があるのだろうな』
魏延は、孔明の寂しさや愛されたいという欲求を感じ、孔明への愛情が芽生える場面である。魏延の孔明に対する「かなしい」は、愛しいである。
そしてその愛情の芽生えを裏付けように6巻 蘇合香 での次の文である。
_____________________
あの男が、本当に優しくなったのはあの頃からだ。孔明は気付いている。口では逆らい、命令をきかず、粗野で、勝手放題のように見えながら、実はだれよりも孔明の近くにいて、支えになっている。それまでは、ただ自分勝手な、残酷なだけの男だった。
_____________________
さて3ヶ所目の「かなしい」はかなり後になる。9巻 叛旗翩翻 の孔明のセリフ。ここでは地の文ではなくセリフとして描かれている。
_____________________
かなしい、という情感には、いろいろあるのだな、梨郎よ。与えられるものはこれほどおおきいのに、私にはそれにこたえる術すらない。相手のおおきさ、我が身の小ささ。私は、かれのことを、いままで、なにも知ろうとしなかった。私は、その罰すら、受けていないのだ。
_____________________
魏延の大きな愛に気がつき、魏延を愛しく思うと同時に、受け取るばかりで自分からは何も与えていなかったことを悲しいと思う場面である。この「かなしい」は愛しいと悲しいの両方を兼ねていると思っている。
魏延の愛は4巻から始まっているのに、孔明は9巻になってやっと相手からの愛情を自覚し、それに答えていなかったことに気がつくのである。遅い、遅すぎだよ!と読者は言いたくなるのである。