天の華・地の風 を読む(4)

天の華地の風の本当に面白いところは、実は2巻以降だと思っています。

もちろん1巻も良いです。1巻はまさに王道JUNEという内容で、この1巻だけで完結したとしても作品としては充分成立しています。

しかし2巻以降が三国志小説として評価されるところでもあります。

2巻以降の法正、李厳楊洪馬良陳震たちの描かれ方は面白いです。

 

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今回は3巻の中で思わず上手い!と思ったところを紹介します。

3巻・墻に鬩ぐです。墻に鬩ぐとは、兄弟または内輪で揉めるという意味です。

この章では蜀と呉の荊州領土問題で、諸葛瑾孔明が会談を行います。互いに国を背負っているため一歩も譲らず、兄弟で罵り合い会談は紛糾します。これが物語の一番表面に表れている兄弟での鬩ぎ合いです。

この蜀と呉の会談は、魏の曹丕曹植の間の跡目争いを発端とした魏国内の揉め事により曹操が漢中から撤退し、蜀優勢で終了します。曹丕曹植が物語の政治的背景として表現されている二つ目の兄弟での鬩ぎ合い。

そしてこの章で、弟の諸葛均が魏の間者だと判明します。本当に鬩ぎ合っているのは実は孔明諸葛均です。

二重三重に表現される兄弟での鬩ぎ合い。この辺りは本当に江森備のうまいところです。そして一番表面で争っているようにみえる孔明諸葛瑾は、実は互いに信頼し合っています。弟を案じ私信を送る諸葛瑾。この兄は物語の最後まで弟思いの篤実な人物として描かれます。

この兄に対し、諸葛均こそが蜀に入り込んだ魏の間者であり、確たる証拠を掴むために後日兄上のもとに使いとして出したい、という孔明の返信にてこの章は終わります。

孔明諸葛瑾の絆と孔明諸葛均の確執がありありと描かれているのです。

 

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兄弟の鬩ぎ合い以外に描かれている法正との関係性も面白いです。政敵である法正からもたらされた曹操撤退の一報により孔明は蜀呉会談を有利に終了することができました。国内では互いに派閥争いをしていますが、対外的には協力し合います。この孔明と法正の関係も非常に上手く描かれ、蜀の国内情勢が分かりやすく表現されていると思います。

 

 

-----  お   ま   け  -----

実は私は多肉植物を育てています。

ハオルチアにエケベリア、サボテンも少々。

先日名前に飛びついて買ってしまったハオルチアを紹介します。

その名も  白  帝  城

 

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これのどこがどう白帝城なのかよくわかりません。おそらく他のハオルチアに比べて白っぽく肌がガサガサしているからだと思います。

私が三国志オタクでなければ見向きもしなかったはずです(お値段もちょっとお高めなので)

このハオルチアを眺めていると、劉備が臨終に際し後事を孔明に託す姿が……浮かんでくるわけないですよね。でも枯らさないように頑張って育てよう。

 

 

 

天の華・地の風 を読む(3)

少しブログを書くことにも慣れてきたのでお堅い「である」調から「ですます」調に自然に移行できそうです。

 

◆愛は口づけで伝える

今回は私の妄想がかなり入った自説です。天の華地の風では口づけこそ愛情表現だと思っています。もちろん愛情の無い相手に口づけすることは無いのですが、特にこの作品では重要視されていると思います。1巻の周瑜孔明はもちろん、魏延孔明も、孔明劉備への思いもそうです。まあ周瑜魏延の場合は身体の関係から始まっているので、孔明にとって性行為は愛情表現ではありません。愛は口づけで表すのです。

 

周瑜孔明の口づけは非常にわかりやすく描かれています。

孔明が入水自殺を装って長江へ飛び込んだ後、初めて孔明から求めていますが、周瑜は躊躇して未遂に終わっています。

その後、朝もやの中での後朝の別れ。お互いに求め合い気持ちは最高潮に達しています。

この場面以降、身体の関係は深くなるのに孔明から口づけを求めるシーンは無し。それと同時に周瑜への気持ちも醒めていきます。周瑜の気持ちはますます盛り上がっているのに、それに反して孔明はどんどん冷めていくんですよ。周瑜どのお気の毒です。

 

魏延の場合は、相手に執着心を知られたら負け!というような非常に緊張感のある関係です。愛しているなんて言葉は決して言ってはいけないのです。でも口づけから痛いほど魏延の思いが伝わってくるのです。

3巻以降頻繁に口づけのシーンはありますが、そのたびに孔明への愛情が深まっていきます。どのシーンも意味合いは少しずつ異なり、ひとつとして同じものは無いのが凄いところです。

物語の終盤で、毒を飲まされ意識の戻らない孔明にそっと寄り添い、目や耳や髪に何度も口づけする魏延の献身的な愛情は涙を誘います。

 

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孔明から劉備への最初で最後の口づけ。これは凄い。なんと遺体への口づけ。とても真似できません(>_<)  1巻から続く孔明劉備への思いの総決算です。

求め続けてついに得られなかった愛情。劉備は軍師として人間としての孔明は認めていたのですが、もちろん恋愛感情はひとかけらもありません。永遠に交わることのない二人の思い。劉備崩御して、孔明は初めて息がかかるほど間近で劉備の顔を見て、その唇をむさぼるように吸うのです。

劉備への執着の強さを遺体への口づけという方法で表現したのです。よく孔明にここまでさせたな。江森備って本当に凄いと思います。

 

孔明から魏延への口づけも何度もありますが、一番思いのこもった口づけは9巻・叛旗翩翻魏延の愛情の大きさに気づいた以下の場面だと思います。

 

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「それから、魏延にはー」

孔明は、梨郎をそばちかく呼び寄せ、かれの頰を両手ですくいあげた。梨郎は、目をとじた。孔明は、そのくちびるを、そっと吸った。

瞬間、梨郎は身体をふるわせ、孔明にすがりついた。うわごとのようにつぶやいた。

「ああ、かならず、かならずー」

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魏延に直接ではなく、梨郎に伝言として託す口づけです。最初にこの場面を読んだとき、なんのこっちゃ??と思いました。しかしこの場面こそ口づけで愛を伝えていることが一番ハッキリとわかる場面です。梨郎はそっくりそのまま魏延に伝えられたのか、伝えるシーンも見てみたかったですね。狼狽える魏延が目に浮かびます。

 

最後に、この作品の中で唯一「ふたりはくちづけをかわした」という双方向の愛情表現が描かれている場面を紹介します。他は全て口づけた、口づけをしたという一方向です。そして「ふたりはくちづけをかわした」と漢字を全て開いてひらがなで書かれています。江森備がこの一文に込めた思いが伝わってくる非常に美しい場面です。8巻・日蝕のラストシーンです。

 

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日輪が、よみがえりはじめた。かくれる時とは逆に、上辺からだった。

おそろしい、かがやく翼は、瞬時に消え去った。空は青さを取り戻しはじめた。孔明はようやく、ひとつためいきをつくと、魏延をふりかえった。目に、安堵のいろがあった。

魏延は、その目をみつめ、その身体をひきよせた。黒く欠けた、太陽の下で、ふたりはくちづけをかわした。

 

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【画像引用元:天の華地の風 外伝/死者たちの昏き迷宮/妖花/小林智美

天の華・地の風 を読む(2)

◆「かなしい」という表現について

天の華地の風の中に「かなしい」という表現は3ヶ所でてくる。

この3ヶ所のうち1ヶ所は他の2ヶ所と違い「かなしく」と形容詞の連用形で書かれている。ここだけ哀しいの意味だと思う。

残り2ヶ所は愛しいという意味で使われていると思う。

そしてこの愛しいという意味がこの物語のなかで非常に大切なのだ。

 

実はこの「かなしい」を愛しいと発見したのは私ではない。

ネットのどこのどなたかわからない江森ファンの書き込みだった。

この書き込みがあってから、私は目を皿のようにして天華を読み返した。

そして確かにそうだと確信できた。

どこの誰の書き込みかもわからないし、それ以外詳しい書き込みもなかったので、私がここで補足させていただこうと思っている。

 

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まず1ヶ所目、これは漢字で「愛しく」と書かれておりルビで「かなしく」と読ませている。

この最初の「かなしく」は残り2ヶ所の「かなしい」を=愛しいのことであると暗に示すためだと思う。

そしてこの「かなしく」は漢字の愛しくが当てられているが、意味は哀しくだと思う。

さて、どこの箇所かというと、4巻の 月やあらぬ関羽の死後、妻の貂蝉荊州から成都に送り届けられるところだ。

 

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やつれた、華の顔。

貂蝉どの」

孔明は呼んだ。あとに続ける言葉はあったが、口にできなかった。いまほど、この女を愛しく憐れにおもったことはなかった。

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夫・関羽と死に別れ成都に送られてきた貂蝉に対しての孔明の心情だ。

この「愛しく」の意味は、やはり愛しいより哀しいのほうが適していると思う。

 

では残りの2ヶ所を見てみよう。

2ヶ所目は、先ほどの「愛しく」のわりとすぐ後に書かれている。

同じく4巻の笑う雲・五 の一場面だ。

 

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かれは皇帝を弑すだろう。

手にした膚の感触が、魏延にそう直感させた。それは人のかたちをした、溶けることをしらない、氷よりも冷えた鋼鉄の刃だった。

冷たき血の、青いうろこの、眠りたる龍。その膚のなかで、血があおく燃えていた。魏延はそれを、かなしい、と思った。

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これは孔明劉備の仲が決定的に破局し、孔明が単騎で夜中に漢中に向けて出発し、その孔明の妖気を察知した魏延が閨で理由を無理やり聞き出したときの場面。孔明に対する魏延の心情。

閨で孔明劉備と自分の関係を語る。

陛下の許で、私は一度として人としてあつかわれたことはない』『知識の袋、ものを考える道具として大事にされただけだ』『思考人形と交合人形の間に、いったいどんな差があるのだろうな

魏延は、孔明の寂しさや愛されたいという欲求を感じ、孔明への愛情が芽生える場面である。魏延孔明に対する「かなしい」は、愛しいである。

そしてその愛情の芽生えを裏付けように6巻 蘇合香 での次の文である。

 

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孔明はその時、先帝と決定的に破局し、ひどく傷ついていた。

あの男が、本当に優しくなったのはあの頃からだ。孔明は気付いている。口では逆らい、命令をきかず、粗野で、勝手放題のように見えながら、実はだれよりも孔明の近くにいて、支えになっている。それまでは、ただ自分勝手な、残酷なだけの男だった。

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さて3ヶ所目の「かなしい」はかなり後になる。9巻 叛旗翩翻孔明のセリフ。ここでは地の文ではなくセリフとして描かれている。

 

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かなしい、という情感には、いろいろあるのだな、梨郎よ。与えられるものはこれほどおおきいのに、私にはそれにこたえる術すらない。相手のおおきさ、我が身の小ささ。私は、かれのことを、いままで、なにも知ろうとしなかった。私は、その罰すら、受けていないのだ。

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魏延の大きな愛に気がつき、魏延を愛しく思うと同時に、受け取るばかりで自分からは何も与えていなかったことを悲しいと思う場面である。この「かなしい」は愛しいと悲しいの両方を兼ねていると思っている。

魏延の愛は4巻から始まっているのに、孔明は9巻になってやっと相手からの愛情を自覚し、それに答えていなかったことに気がつくのである。遅い、遅すぎだよ!と読者は言いたくなるのである。

逆に言えば、江森備は9巻で孔明の口から魏延のことを「かなしい」と言わせるために、4巻の時点で仕込んでいたのである。

天の華・地の風/江森備 を読む

シーザーシリーズの感想を書こうとしたけど、読んでから時間が空いてしまったので後回しです。

やはり原点に戻り天の華地の風について。

 

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まず、この小説は読者に向けて書かれたものではなく、江森備が自分の魂を小説として表現したものだと思う。

なので決して読者に優しい甘い物語ではない。クライマックスに向けて読者は非常に辛い物語を読み進めなくてはいけない。

しかし一度読み始め、江森備の魂に触れたなら、我々はただ最後まで見届けるしかない。

江森備の魂の叫びを真っすぐ受け止めるだけなのだ。

 

この作品は三国志を縦糸に真実の愛を横糸として織り上げられた見事な蜀錦である。

うまく史実と創作を織り交ぜて描かれている。

そして因果応報の物語である。

他人を安易に殺めてはいけないし手にかける場合は其れ相応の理由が必要だという江森備の考えが根底にある(これは江森備の他の作品にもいえることだが)

止むに止まれず相手を殺めてしまった場合でも、その報いを受けなくてはならない。

主人公孔明は自分を愛してくれた周瑜や知性を認めてくれた劉備を毒殺してしまう。

その報いとして周瑜によく似た姜維劉備の息子である劉禅の策略によって、珍毒を飲まされる。

 

ただ、そこで毒を飲まされて死んで終わりではない。

この作品の主題は実はここからである。

毒によって周瑜が愛した身体も劉備が認めた知性も失い廃人のようになってしまう。

あの月のごとき美貌も、千里の彼方の敵を倒す知力も全て毒により奪われてしまう。

 

そのような何もできない何の力も持たない存在になってしまっても、魏延に最期まで守られて死ぬのだ。

物語の始まりでは愛を知らない孤独な魂の孔明だったが、ラストでは大きく深い愛を手に入れたのだ。

 

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今回はものすごく堅い文章になってしまった。

次回以降は別の視点から天の華地の風を語ろうと思います。

 

江森備という作家

わたしが唯一作者買いしている作家、それが江森備である。

先日、江森備の私説三国志について熱ーく語っている人のブログを読んだのだ。

そりゃもう凄い熱量でツンドラすらあわや溶けだすかという熱さで、なんだかこちらも居ても立っても居られなくなってしまった。

 

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わたしも久々に読み返したくなって、光風社出版の本は持っているけど、さらに電子書籍版を買い足してしまった。

ちょっと加筆訂正してあって、さらに巻ごとにあとがきもあって、間違いなく買って良かった。

読み返して新しい発見もあって、きっかけとなったブログ主さんに感謝したよ!

 

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で、江森備という作家が存在していること、今でもファンがここにいることを残しておきたい!とブログまで始めてしまったわけだ。

いま、アイアムシーザーシリーズをまた読んだので、次から感想を書いていこうと思う。

時間はかかるかもしれないけど、もちろん私説三国志も王の眼もブルークリスタルの感想も書いていくぞ。

 

そして日本が舞台という江森備の次作がソロソロ発売されるのではないかと期待している。

だってシーザーシリーズの最終巻が発売されてからもう2年たったよ。

早く発売されろ!

はじめに

好きなことを好きなように、書きなぐってみよう

本当に好きなことを熱く語ってみよう

どうせ誰も見ないかもしれない

誰かが見てくれるかもしれない

そんな想いから始めました